もっとも信仰から遠いところ

6年前に母が亡くなってからも300メートルほど離れた両親の家をそのまま守っている。一族の宗家でまつりごとの中心であるということに加え、仏壇があるからというのがその大きな理由だ。その仏壇には一ヶ月に三度、近所の坊さんに月参りしてもらっている。家の宗派はこの地の大方の例に漏れず浄土真宗大谷派で、親鸞を宗祖とする。
ただ父祖伝来の宗教だからと参拝するのでは信仰と程遠い。自分の精神的なよりどころとして浄土真宗をとらえることができないだろうかと、ここ何年か、親鸞や宗派について積極的に学ぼうとしてきた。だから今は、「家」の宗教だからではなく、自分で撰択して信仰を持っているつもりだ。
僕は親鸞を、あらゆる権威にひるまず肉食妻帯を強行した日本歴史上もっとも過激で偉大なアナーキストだと考えている。そのアナーキズムには太い筋が通っている。信仰に忠実であろうとする純粋さがそれだ。そしてその信仰の根幹にあるのは徹底した平等思想である。「阿弥陀仏はあらゆる人々を救うと誓われた。だから尊いのだ。だからすべてをゆだねるのだ」という単純明快な思想であり、それは「南無阿弥陀仏」に要約される。
生活上の戒律などいっさい無い浄土真宗だが、信仰上の戒律ならある。親鸞の主著である教行信証にある「神祇不拝、国王不礼」がそれで「民族の神を拝んではいけない。天皇を敬ってはいけない」という意味だ。阿弥陀仏の前ではすべてのひとが平等であるとし、それゆえに阿弥陀仏のみを信仰の対象とするというのだから、反天皇制、反民族主義は当然の帰結である。前首相の森善朗が真宗大谷派の門徒総代でありながら、「日本は天皇を中心とした神の国だ」と公に発言したことなどは、言語道断の破戒行為なのだ。
その平等主義を自らの思想上のよりどころとして話をする僕に、従軍経験ある年長の友人が、「戦争中は浄土真宗の坊主どもが率先して人々を戦争に駆り立てていた。宗教はその時々の権威にへつらい、どうとでも変容するものであり、まったく信用に値しない」と唾棄したことがある。その言葉をキッカケに戦争中の浄土真宗の姿を調べだした僕に、とんでもないバケモノが姿を現した。大谷派の中枢にいた暁烏敏(あけがらすはや)というバケモノである。
暁烏は戦争中、日本の民族主義の暴走とその先にある戦争に、宗教界からエールを送っていた思想家・宗教家である。すなわち、かれこそ「率先して人々を戦争に駆り立てていた」張本人なのだ。暁烏は「神祇不拝、国王不礼」の戒律を無視して、天皇を中心とする国家神道の下に浄土真宗を位置づける論陣を張って人気を博していた。松任のかれが住職を務める寺には、阿弥陀仏の本尊と並んで、天照大神の祭壇がしつらえてあり、戦勝祈願の礼拝を常にしていた。天皇制を頂点とする日本の民族主義・選民思想に奉仕して根本教義をドブに捨てたのだ。
かれにはふたつの大きな罪がある。ひとつには人々を間違った戦争に駆り立てた罪。そしてもうひとつには教団にありながら浄土真宗の教義に背いた宗教活動を行っていたという罪。
こともあろうか、その暁烏を真宗大谷派は戦後の昭和26年に教団の最高指導者である宗務総長に抜擢しているのである。このことへのキチンとした弁明や自己批判なしにしては、教団そのものがもっとも信仰から遠いところにあるとしか僕には思えないのだ。
あるいは門徒は信仰などというよけいなことは考えず、親鸞自身がもっとも嫌った先祖供養にだけ執心しておればよいとでもいうのか。それこそ「葬式仏教」そのものである。

  以下は僕がこの3月以来、浄土真宗大谷派・東本願寺金沢別院のホームページである「おやまネット」にメールで出した質問文である。3月、4月と2度、出したのにまったく返事は来ず、無視され続けている。(文中の「親鸞会」とは浄土真宗系の新興宗教団体の名称である)

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             「偽りの信心」

先ごろ地区のお寺で祠堂経(しどきょう)の講があり参詣させていただきました。住職のお勤めの後、説教師さんのお話があり、「偽りの信心とまことの信心」というお話になりました。説教師さんがおっしゃられるには「偽りの信心」とは「諸仏、諸神」に心を振るような信心だということです。わたしが「それでは東本願寺が奨めるのは偽りの信心ですか?」と質問したら、師は怪訝なお顔をされたので、わたしは「戦前、国家神道を浄土真宗の信仰の上においていた暁烏のような者を戦後6年も経ってから宗務総長に迎え入れたからです」と続けると、「おお、そう来たか。その話は長くなるからあんただけ後で別室で」と、打ち切られてしまいました。どうやらわたしのことを親鸞会からの回し者だとでも思われたみたいでした。別室で師はわたしの質問には回答されず、「親鸞様のお教えに熱い気持ちをお持ちなら、それで充分ではないか」とお茶を濁されてしまいました。その場はまるめこまれてしまいましたが、わたしにはやはり納得がいきません。なぜなら暁烏を中心とした近代教学の輩がやってきたことは天皇制を擁護し日本の民族主義、国家主義、国家神道の支配の下に浄土真宗を取り込むことにほかならず、親鸞様の「神祇不拝、国王不礼」の思想の対極にあるものだからです。戦前、教団が、説教師がおっしゃるような「まことの信心」を浄土真宗の門徒700万戸(当時の総人口の3分の一)に徹底しておれば、日本の民族主義の増長を防げたはずだし、戦争がおこることもなかった。また300万人といわれる戦時の日本人犠牲者のみならず、3000万人といわれるアジア諸国民の戦争犠牲者は出なかったはずだと思うからです。戦後何年も経った後、なぜ、背教者のなかの背教者、思想界におけるA級戦犯とでもいうべき暁烏のような者を東本願寺が最高指導者に招いたのか、また現在、東本願寺は暁烏らの思想を「偽りの信心」と認識しているのかどうかを、わたしのような無知なものにも分かるようご説明ください。わたしは、浄土真宗を自分でえらんで信仰しています。今後も東本願寺のご指導をいただくかどうかもわたしの意志次第です。問題は信仰の中心です。けっしてはぐらかすことの無いようにお願いします。

2006年5月5日

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