33パーセントの代表「小泉純一郎」    

森喜朗が首相であったときに、生まれも育ちも東京というレコード屋仲間のひとりが「どこが嫌いというわけではないが生理的にゾットするあんなやつが総理大臣であることは許せない」と言った。ちょっと待てよ、よく似たことを聞いたことがあるぞ。それは、ぼくが東京の大学生だった30年位前のこと、収賄罪で起訴された直後の東京での田中角栄の言われようのひどさだった。マスコミも市井のひとびとも、ほとんどこれ以上の極悪人は無いといわんばかりの叩きよう。思い出してみれば、産業を興し交通網を整備し地方活性することで日本列島を改造するんだという遊説で全国各地でヤンヤの喝采を受ける田中角栄のニュース映像をそれはそれは冷ややかに首都圏のひとびとは眺めていたものだった。
同じ嫌悪感が、鈴木宗男や辻元清美を議員辞職に追い込んだし、かつては、鈴木の師匠にあたる北海道のヒグマこと中川一郎や、今は雌伏している小沢一郎に対しても向けられたことがあったように感じる。
簡単に言えば、東京の人々と中央マスコミは地方の論理から国政に口を挟む政治家がキライなのだ。田舎者としてとことん軽蔑しているのだ。
それで、コイズミはと言えば、神奈川出身のかれは首都圏に住むものの理屈で日本全体を牛耳ろうとする宰相である。地方交付税の削減、道路公団の解体、郵政民営化、かれの施策の根幹にあるものはムダを省いて国家財政を立て直そうとするものだが、そのどれもが都会人の生活を損なうことなく地方にのみ負担を強いるものであることが明白だ。この男の頭の中では地方の存在そのものがムダとして映っているのに違いない。
2月1日。新聞の世論調査で、小泉内閣の支持率が33パーセントと出た。この数はちょうど3分の一であり、首都圏に住む国民の割合とほぼ符合する。ぼくには、この男が中央マスコミと結託し、たかだか首都圏に住むものの利益を代表して地方切捨ての政策を推進していることを象徴する数字に思われてならないのだ。                  2005年2月15日               

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